月下、出鱈目なステップ
提供元:金沢大学男子バスケットボール部
2025/04/12 14:42
あー、今年も講義で聞くことになるのかぁ、、、
とんかつせんもんてん
言語学を専攻するようになって、何度言ったか知れない、いつ使うんって言葉です。
いや、、、野々市にありました。かつ坊さんというお店がとんかつ専門店の肩書き背負っているらしいです。
なんか嬉しいですね。
ちょっとお高いけど今度みんなで行こーね。
あ、なんで言語学を専攻してるとよく聞くのか???
それはねそれはね、、、、、、
~30分後~
そうやってロバート・A・ハインラインは笑いを攻撃性の裏返しだって主張したんだよっ!!
、、、、、え???
ということで、本日のテーマは「笑い」について。
ありますよね。
話してるとどんどん話題がどこかへ飛んでいってしまうとき。
僕はいつもそんな感じです。
適当に話してるんでそこら辺あっちこっち行っても新入生のみんなも気にしないでくださいねー。
あ、そやそや
3年になれました。後藤です。
きょーもぶろぐがんばるぞぉー。
今年の新入生も後藤いないのかなぁ、、、。
是非、後藤は後世に残していきたいですね。
やはり新歓もみんなの名字を聞いて回るしかないか、、、、。
さて、テイスト変えていきましょう。
「笑い」って実はちょっと怖いものだと思う。
怖いなんてすごく抽象的な言葉だし、そんなもんじゃないでしょって否定したくなる心はいるけれど、なんだか否定できない事実も転がっているのかなって思う。
昔、いじめている人間を見たことがある。
その子が自覚しているかは分からないけれど、多分いじめだったと思う。
いじめられている子の話も聞いたことがある。
溢れ出たような恨みの言葉だった。泣いているときもあった。
でもいじめっ子は笑っていた。なぜ笑ってたかなんてもう興味もないけど。
でも、事実。それは絶対。ーーーは笑っていた。
高笑いだった。いじめっ子は笑っていた。嬉々として。頬を赤らめてしまいそうなほど、楽しそうに笑っていた。
ああ、地獄のようだ。
と、いつしか思っていた。
多分、いじめを見たそのときには思わなかった。
後からいじめを思い出したときに感じたのだと思う。
きっとそう感じるようになったのは、地獄にある「笑い」が自分たちの日常に溢れかえっていると、つまり自分だって似たような笑いをしていることに気付いたから。
その瞬間からかもしれない。笑いがちょっと怖いものだと思うようになったのは。
どこかで聞いた。
誰が言ったかは知れないけれど。
天国よりも地獄のほうが楽しいと感じている奴が多いのだろう。と。
あぁそうか。僕らは地獄を身近に見ているんだ。どこにもあるものなんだ。
天国にあるのは微笑みだけ。
天使はお互い顔を見合わせて、脅威のない世界をただ目を細めた笑いの中過ごしている。笑い声なんて聞こえない。ただ作られたような微笑みがいつもどんな時も溢れている。
地獄には笑いがあふれている。
悪魔は本気で苦しむ人間の顔を見て、滑稽だとみんなで笑っている。声をあげて、恍惚として思い切り笑っている。最も笑っている人間があるのはこの地だろうと疑いもなく思っている。
あぁ、なんで誰かを馬鹿にするのが、あんなに面白いんだろう。
あぁ、なんで滑稽な誰かを見るのが、あんなに笑えてしまうのだろう。
あぁ、なんでうまくできていないことが、はたから見るとあんなに笑顔を生むんだろう。
あぁ、なんでドラマチックな死が、あんなにも美しいんだろう。
あぁ、なんて寂しくて、怖くて、貪欲で、素晴らしい世界なんだろう。。。。
ふぅ。
きもちわる。
今回ここまでに書いたものは
アメリカのSF作家、ロバート・A・ハインラインの「笑い」が攻撃性の裏返しだという主張をもとに書いております。
そっくりそのまま書いてあるって感じじゃないんですけどね。
まー主張は少なくともこれ。
人間はつらいから笑う……つらさをとめる、それがただひとつのやりかただからだよ
(『異星の客』, ロバート・A・ハインライン)
まあ、極端な且つ本質的な話ではあるけどねー。
分解していくと、
笑うことはすべての人間が求めているのに、笑いには攻撃性が隠れていないといけない。
もっと言うと、誰かに対する「優位性」を感じられなければいけない。
って感じ。
え、ほんとに?
みたいな感じになるかもしれないんですけど、「微笑み」としっかり分離して考えてみれば、かなり否定できない主張だとわかるかと思います。
えと、考え方のひとつとして。
多分、「異星の客 笑い」って感じで検索したら、
こんな反論例が出てきます。
小さい女の子が何かのお礼に手紙?的なものを、お店の店員さんに書いて渡したんだけど、それを見てその周りの人たちはみんな笑顔になってたぞ!!
いや、違いますから。
それは微笑みですから。
すごーく簡単に言うと、「やべ!あぶね!!」って時に、笑いが生まれるってことなのですよ。
冗談とかジョークとか、いじりもやっぱおもろいじゃないですか。
結局はそういう笑い自体、攻撃性が裏側にある言葉と、その「それは言い過ぎやろ」の1歩手前のスレスレ感を笑っているに過ぎない。
そんな感じの主張です。
もしかしたら今の笑いは「分かる」というのがその根幹になっている、と言うことが出来るかもしれないですけど、結局その本質が変わったわけではありません。
あ、その分かるっていうのはですねねねねね、、
(急ブレーキ)
あぶねぇ。
ほら、あっちこっち行っちゃうでしょー。
だから僕のブログ長いんですよー。
まーまー、いいとして。
やっぱ人間って面白いなぁ。
って思います。
うん。
そんなとこですね。
めっちゃ当然の話なんですけど、笑いのためにする攻撃性も行き過ぎたら問題じゃないですか。
結局それの最大地点がいじめってやつなんですし。
まー、これがいじめが無くならない原因でしょうね。
知らんけど。うん。知らんけど。
現実は本質に隠れているってやつです。
でもでもね。
いじられるとか、攻撃性を向けられるってそれは凄く愛されてるってことだと思うんです。
いやまぁちょっと違うこともあるかもだけど、
まじで嫌いだったり、関わりたくなかったら攻撃するんじゃなくて無視するのが普通だから。
でも、うーん、ちょっと攻撃性が行き過ぎたりしてないかなーとか。
人によって攻撃性に対する耐久力ってあると思うけど、きっとそれを超えちゃうといっっっっっっっくら仲良くてもうっっっっっっっざいですよね。
たぶん。
いじりは告白みたいなもんです。
好きだぞ!って言ってるようなもん。
でもバラの花咥えながら、白いスーツ着て全力でカッコつけたやつが告白してきても
「きもっ」
って思うだけですよね。
だから大切に卵を持ち運ぶ時のように、丁寧にいじれたらいいよねってことです。
まーちょっと最近のチームの中で意識してもいいところなのかなぁーとか思ってるので、ちょーーーーーっとだけ考えられたらいいのかなって感じです。
言葉の選び方とかね。
部活に限った話でもないんだけれどももも。
僕もここ1年ちょっとだけ意識してきたことです。
そーゆーとこで、ちょっとは変われたのかなぁ。
どうなんだろ。
まーいいや。
みんな、またなっっっっっがい1年頑張ろうね!!
さぁ、1番心臓が高鳴る春だ!!
『夏への扉』はまだまだ先にあるんだぞー!!
まずは今をいいものに!!!
そしてそして!
ここまで読んでくださった根気強い新入生の皆さん!!!
そんな人いるのかな!?!?!?
僕のブログいっつもこんな感じなの!
ごめんね!!!
まずはご入学おめでとうございます!!
多分、人生で1番がんばって、苦しんで、がんばって、緊張して、がんばって、怖くって、がんばって、そんな受験を乗り越えてきた人たちばっかやと思います!
だから
人生最後の青春!
最も大人になりたい青春!
大人にならなきゃ行けない青春!
自由で何でも自分で決めれる青春!
ほんまに全力で楽しんでください!!
その全力で楽しむ青春に、少しだけ男子バスケ部という選択肢を一端に考えていただければ幸いです!
『月は無慈悲な夜の女王』だけど、タートルズは楽園のような青春のきっかけ、になれる場所だと思います!
僕たちと一緒に切磋琢磨し合うおもろくて、でも真剣な青春を過ごしてみては!?!?
ではでは、今度は新入部員紹介の後かなぁ。
楽しみしてます! 新入生のみんな!!!
ほなまたー。